« 2006年4月 | トップページ | 2006年6月 »

え~…あの~…その~…

「 復活 」  します

マンションのトラブルが解決しましたので…引越はしなくて良くなりました…

たった二日の閉鎖でした…ハズカシ~~~(*><*)

「あきれた」「あほか」「なんだよそれ」「心配して損した」…いろいろ言いたい事もおありでしょう

もっと,もっと罵倒してください

これからは皆さんの僕(しもべ)として生きて行きますのでよろしくお願いします(^^)

それにしても感情に任せた行動は必ずあとで後悔しますね、謙虚につつましく…肝に銘じます

| | コメント (22)

故郷

神戸を出て来年で20年になる

離婚後、当時勤めていた会社の転勤で東京に来る事になった。

小さな会社で仕事はハードだったが決して悪い会社ではなかった。ただ拘束時間があまりに長いため退職し現在の派遣の仕事をしている。

この20年の間に神戸に帰ったのは数えるほどしかない

姉が亡くなった時と祖母が亡くなった時、

甥と姪の結婚式、友人の結婚式…ちょっと遊びに帰るなんて事は一度も無かった。

姉とも交流が無く、母とはあまり仲が良くない。

友人もそれぞれ所帯を構えノスタルジーに浸る暇は無い

僕自身「昔は良かった」などと言いたくは無いし、思ってもいない

それでも最近神戸の町並みを良く思い出す。

それも三宮や最後に住んでいた町ではなく、子供の頃を過ごした六甲の町を思い出す

阪急電車沿いの小さなアパートで一家五人、貧乏暮らしをしてた頃をなぜか思い出す

八幡神社や宮前市場、山の方へ行くと篠原、六甲ハイツ、空き地がいっぱいあって三角野球をした頃を思い出す

ラブレターの舞台になった画材屋はもう無いのだろうか、高さ160センチしかなかった阪急のガードは今はどうなっているのだろう

飼っていた猫が死んだ時埋めた八幡神社の大きな木はまだあるのだろうか

小学校の近くにあった貸し本屋…一冊返しそびれて、どうしようかず~っと悩んでいた…

ある年の秋、北風が吹き始める頃、自分の影の長さに時の流れを感じてなんとなく不安になった…あれから…数十年…

新神戸を出る新幹線の中で「もうこの町には帰らない」と思ったあの時、あれから20年…

いまさらなのになぜか神戸の町を思い出す。

心があの町を求めているのだろうか…

もし帰ったとしてあの町は僕を許してくれるのだろうか、僕を受入れてくれるのだろうか…

人生もそろそろ黄昏を迎える

自分の死ぬ場所を考えてもいい時期なのかもしれない…

 

…こんな事を考える僕は今、鬱期に入っているのだと思う

                 ごあいさつ&お詫び

        コメント、トラックバックしてくださった全ての方へ…

個人的な事情でネットが出来なくなりますので、このブログは当分更新できなくなります。

OFF会等の連絡はプロフィールの中の携帯のメールアドレスに送ってください

仕事場のPCでブログのコメント見ることはできますが書き込みは出来ません。

長い間、僕の未熟な記事にコメントくださった皆様、ROMしてくださった皆様、本当にありがとうございました。

落ち着きしだい復活する予定ですがいつになるかはわかりません。

ココログはいつか復活する時のためにこのまま設置しておきます。

| | コメント (4)

「 品 」

「しな」…ではなく「ひん」と読んでくれ

ず~っと前から書きたかった記事だが、何もまとまらないまま書き始めるのでどうなるかはわからない…という前置きをするところが小心者

最近言われなくなったが「勝ち組み」「負け組み」と言うのをテレビのバラエティでよくいってた。

結婚した人を勝ち組み、してない人(出来ない人)を負け組みというらしい

「負け犬」なんて言ったりもした…酒井順子さんの著書「負け犬の遠吠え」から来ているらしい

僕はその本を読んでないので、内容をまったく知らない。だからその本の批評やコメントを書くつもりは無い。

興味があるのは一人歩きした「負け犬」それが昇格して「勝ち犬」さらに昇格して「勝ち組み」と言う言葉。「昇格」に異論があるなら「変換」とか「変身」と置き換えてもいい

この言葉がマスコミに出だした頃から興味があった。

「いったい何が『勝ち』なの?」それが僕の疑問の始まりだ

結婚すれば勝ち組みの仲間入りと言うならDVに苦しむ女性も勝ち組みか?、浮気ばかりする男と一緒になっても勝ち組みか?、ヒモのような男と一緒になっても勝ち組みなのか?…

もしかして玉の輿に乗る事が勝ち組みと言うのか?玉の輿ってなんだ?お金持ちと結婚する事か?では、お金持ちって何だ?お金を持っている人か?それが親から受け継いだ財産でもお金持ちと言うだけでその人と結婚すると玉の輿に乗れるのか?

例えばアフリカの土地に井戸を掘る海外青年協力隊やボランティアは結婚の対象にはならないのか?代々続いた農業を営む人と結婚するとどうなんだ?

バブルの頃に「三高」と言う言葉が流行った。

高身長、高学歴、高収入…そういう人のことを言うそうだ。

僕は高身長だがあとの二高が「高たんぱく」「高脂肪」なので当てはまらないのだろう

去年ある銀行のミスで20億円を稼いだ人がいる。

彼もきっと勝ち組みに入るのだろう。

人の人生を占って「地獄へ落ちるわよ」と言う占い師、彼女も勝ち組みなんだろう…

どういう経緯でお金持ちになったのかはわからないが□十 姉妹も勝ち組みなのだろう…

でも僕はこれらの人たちを見て、きっと莫大なお金を持ってる勝ち組みには違いないのだろうが、何とも言えない「品の無さ」を感じてしまう。

セレブと言う言葉はセレブリティー [celebrity] から来ている。訳すと「名士」とか「名声」と言う意味らしい

決してハイ‐ソサエティー [high society](上流社会)ではないのだ

欧米の上流社会の人たちはその多くの人が地域への奉仕をしチャリティやバザーを通して恵まれない人や弱者への援助をおしまない

それは「富める者の自己満足」と言う批判もあるが、その反面その援助によって助かっている人がいることも事実である

こんな事を言ってる僕の言葉は彼らには「負け犬の遠吠え」にしか聞こえないのかもしれないが…

ワオオオオオオ~~~~~ン

結局わけのわからない最初に危惧したとおりの記事になってしまった(^^)

| | コメント (33)

今日は病院の日

今日は三ヶ月に一度の病院の日

朝イチで行って採血、レントゲン、診察…といつもなら昼過ぎまでかかるのが今日は午前中で終わった。

でも、検査の結果が…やや炎症があるらしい、レントゲンを見てもわずかながら浸潤が見られた。

炎症反応を数値で見ると前回500ぐらいだったのが今回1500まであがっている。

軽い風邪を引いてもそれぐらいあがるらしいので、そう心配する事は無いらしいのだがここまで順調に回復してきただけにちょっとショックだ。

抗生物質をしばらく飲んで、来週もう一度検査を受ける事になった。

本来は楽天家な僕だが今回は少なからず凹んでいる。

でももし、僕が死ぬのなら、神様お願い「美しいまま」で死なせてくれ

………まったく、どこまで本気なのやら………

| | コメント (13)

室井佑月さんが引越し準備をはじめた

…が、全然進まないらしい…引越しは…慣れだ!!!

僕は転勤、その他を含め生涯で18回の引越しをしている

ここ20年でも、長田(神戸市)→元町(神戸市)→須磨(神戸市)→富田林市→浦安市→豊田市(愛知県)→浦安市→多摩市→座間市→相南3丁目(相模原市)→相南1丁目(相模原市)→麻溝台(相模原市)…と11回の引越しをしている。

そのうち、ここ10年で5回の引越し…正直、慣れたもんだ…こんな事に慣れたくも無いが…

よく「引っ越し貧乏」と言うが引越しする前から貧乏な僕の場合どうなるのだ?

引越しを簡単に済ませら得るコツは、まず「新しいものを買わない!!」だが佑月姉さんはそれが出来ないらしい(^^)

買わないとなったら引越し部材以外は買わないと決めなければならないのに「このコップ可愛い」とか「このリネンがいい」で買ってしまうそうだ、そういうところを見ると、姉さんも「ああ女の子なんだなあ」と思ってしまう

で、ついに神林女史に叱られてしまったそうだ。「やる気あんのか!ワレ!いてまうぞ!」って…「ワレ!いてまうぞ」は言葉としては発してないがきっとそういう気持ちだったんだろう…って事で僕が付け加えた

ところで、引越し要員に僕を雇わないか?

背が高いので脚立がいらない、手が長いので一度にたくさん持てる。仕事柄ある程度電気にも詳しいし、便利この上ないし、温水便座の取り付けぐらいならお手のもんだ

今ならダイナミックキャンペーン中に付、安くしておくぞ(^^)

「一家に一台、こんなおじさん欲しかった!!」と昭和のCMみたいなこと言わせて見せるがどうだ?

ただし平日しか勤務できないが…

| | コメント (10)

コンビニが…

最近近所のコンビニが続けさまに閉店廃業している。

理由は「乱立」しかないな、そのコンビニがつぶれても20mも離れない所にもう一軒コンビニがあり不自由はしない

また近くの300mほどの商店街の中に4軒のコンビニがあり、更にわき道に数軒のコンビニがある。その中の1店も廃業した。

大手もあれば神奈川地区だけのコンビにもあり、大手だから生き残ってるとは言えないところがこの業界の厳しさを物語っている。

でもコンビニの直営店はまだ良くて、厳しいのはフランチャイズ店の方です。

実は1年ほどコンビニの本部で働いた事がある。

はっきり言って限りなく詐欺に近い商売をしていた。

その本部はフランチャイズの新店がオープンした時はそれなりに店舗応援を出すが半月もすればほったらかしになる。

そのくせ何らかのイベントにかこつけて商品を多量に納入し売れ残った場合は原価で店に引き取らせることをしていた。

つまり原価350円、売価500円のお弁当を10個納入し3個売れ残ったら当然店は廃棄するが3個分の原価1050円は支払わないといけないのだ。

こう見ると「それぐらいのリスクは仕方が無い」と思う人がいるとは思うがまだ裏がある。

年間に「暦」にかこつけたイベントが50近くありそのたびに発注をしてもいない商材が送り込まれてくる。

本部のトークは「年一回のイベントなのでフランチャイズオーナー様にはご協力を願ってます」と言葉は低姿勢だが実情は強制である。

年一回が50回あれば毎週何らかのイベントで欲しくも無い商材が送り込まれてきて、売れ残りは原価で買取…これがフランチャイズ側の大きな負担になってます。

ある店の様子見で伺った時、雑巾を投げつけられた事もあります。

最初に多額の保証金を払いロイヤリティを払いさらに売れ残った商品の金まで払い…その方は限界に来てたのでしょう

かといってある程度の期間営業しないと最初に払った保証金が「違約金」と言う形で減額されてしまうので止めるに止められない状況だったと思います。

そしてもう一つ、24時間営業の強制です。

売上の上がるところは深夜に人を雇ってもその分を売上で賄えますが、売上が悪いと家族経営になります。

1週間や2週間はできるでしょうがそれが何ヶ月ともなると話は違ってきます。

慢性的な睡眠不足、売上のストレス、商品管理…家族崩壊に近い状態になった人も居ます。

ある会議の時に僕が「既存店への補佐の必要性」というレポートを出した時、上の人に呼ばれ「オープンした店の事なんか考えなくていい、これからオープンする店のことだけを考えろ」と言われ、それがその会社を辞めるきっかけになりました。

以前住んでたアパートの近くに食品を置く雑貨屋があり、そこの70近いおばちゃんと話してた時、「うちにもコンビニにしないかって話があるのよ」と言ってた

「商品管理も本部の人がやってくれるって言うし、いろいろ聞くといい話なのよね」

と言ってたので一応僕の知ってるコンビニ業界の実情を話して聞かせた

結局それから何年もたってるがコンビニにはなっていないので止めたのだろう

セブンイレブンなのかローソンなのかそれともローカル業者だったのかは知らないが70歳の二人きりの夫婦にコンビニを営業させる事を考える本部に怒りすら覚える。

因みに最近コンビニの利用が前に比べて減った。

その第一の理由は「高い!!」

近所のローカルスーパーならペットボトルが150円なのにコンビにだと300円以上する。

たかだか150円だが10本買える値段で20本買えると考えればコンビニで買うのがばかばかしくなる。

最近の僕は主夫業が板についてきてとっても倹約家なのだ。

そのうち誰かが嫁(婿?)に貰ってくれるかもしれない(^^)

| | コメント (6)

飛行機の話 その一

実はね、僕、飛行機が大好きなんです。

ライト兄弟が初飛行してから100年以上経って…と言うよりたった100年で音速は超えるわ宇宙へは行けるわ、高度10000メートルを500人乗せて飛べるわでメッチャクチャな進歩ですね~

でも、そんな音速の飛行機よりどちらかと言えばやっと飛べるぐらいの飛行機、第一次大戦や第二次大戦の戦闘機や爆撃機が好きなんですね

例えば爆撃機ならB29よりB17が好きですね、B29はたぶん性能は格段に良いんだろうけどなんか「情け容赦無し」って感じがして…

やっぱり核を落として一瞬で10万人…その後の被害者を入れると数十万人殺したと言う事実からB29=「悪」のイメージがついてしまいましたね

あと東京大空襲と言う大無差別爆撃もあります。

その一連の計画、指揮したカーチス・ルメイは大戦果を上げながら軍部の評価は高くなかった

それに比べB17は映画「メンフィスベル」や古いところで「頭上の敵機」でも描かれている通りかなりの被害を出しながら戦い抜いたのでアメリカでも爆撃機と言えばB17と言われてます。因みにメンフィスベルと言う機は実在する

その次はB25かな、ドウリットルが初めて東京爆撃をした飛行機です。

双発の爆撃機を空母から飛び立たせて東京を空襲し中国大陸へ抜けました。

被害はたいした事無かったのですが「帝都空襲」と言うことで軍部は色めきたったそうで、その後の航空隊の編成に影響を与えました。

まったく同じことを連合国側はドイツにもしましたね

「バトル・オブ・ブリテン」の頃(1940~1941)ドイツはイギリスの工業地帯や飛行場を爆撃しイギリスはまさに青息吐息の状態に追い込まれたのですが、隙を突いてお返しにベルリンを爆撃したんですね

被害は東京空襲と同じでたいした事無かったのですが、怒り心頭のヒットラーは爆撃目標を軍需工場からロンドンに移したんですね、でも結局そのことでイギリスは息を吹き返し「バトル・オブ・ブリテン」はイギリスの勝利で終わりました。

もちろん多大な被害を出しながらですが…

因みに、バトル・オブ・ブリテンを描いた30年程前の映画にメッサーシュミット(独)にイギリスのマーク、スピットファイア(英)にドイツのマークがついた作品がありますタイトル失念

結局どんな性能の良い機械を作ってもそれを機能させる人間しだいと言う事でしょうか…

日本の最終兵器「神風特別攻撃隊」は誰でも知ってると思います。

その中に「桜花」という双発の爆撃機に抱かれて飛び立ち敵艦隊の10キロ手前で放たれる特攻機がありました。

双発の爆撃機は「一式陸攻」というスピードの遅い飛行機で母機もろとも撃墜される事が多かったそうです。

でも、じつはもっと悲惨な特攻機があります

陸軍で作られたキ-115「剣」と言って木製の機体に申し訳程度のメーター類、エンジンは初期のゼロ戦に使われてたのを改良したハ115、機体には既に500キロ爆弾が埋め込まれ、飛び立つと機体の軽量化と材料の節約で主脚は落下し、飛び立ったら最後パイロットは生きて地面を踏む事は出来なくなります。

幸い一線で使用される前に終戦になりました。

本当はもっと早く完成するはずだったのですが設計を命令された中島飛行機(現富士重工…等)が非人道的な特攻機を作るのが嫌でわざとチンタラチンタラやったり、別の機体の設計をしたりして引き伸ばしを図ったためと言われてます

戦争は人間を狂気へと駆り立てます。

本当はもっと面白い話を書こうと思ったのだけど…こんな話になってしまいました。

| | コメント (6)

輝け!!第一回 ミニOFF会

とまあ、たいそうなタイトルですが…

夢心地「まいち」さんとミニOFF会を考えてます…と言って、まだ、な~~~~んにも決まってません。

場所も人数も、いつやるかさえも決まってませんし、イベントも別に考えてません。

はっきり言って飲み会です(^^)

飲んで食って、くっちゃべって…そんでもってちょっと楽しけりゃいいか…てなノリのOFF会です

大まかな日にちは「給料日後」で、大まかな場所は「都内」です。

何人か集まったら場所とかの詳しい事を決めます。

今、参加申し込みをするとダイナミックキャンペーン中につき先着十名さま「MUROI YUDUKI Calendar2007」が当日貰えます。(但しA3ノビサイズ)

因みに幹事は僕ではありません、僕は広報です(^^)

| | コメント (26)

彩花ちゃん安らかに・・・

http://www.save-ayaka.com/

何もいえない…悲しい…

| | コメント (6)

こんなん作りました

肖像権がありますのでおおっぴらにはオープンできません

〔 カレンダー 〕

勝手な事をするな!!とお叱りを受けたらすぐ止めます

小心者なんで…

| | コメント (6)

室井佑月さんのブログで…

たとえ一行でも名前が出るととても嬉しい(^^)/えへへ

でも「神崎じい」さまにしても室井姉さんにしても一つ間違えているところがある

僕は「ノッポおじさん」じゃなく「ノッポおじさん」なんだけど…/~(^^)ポリポリ

のっぽのおじさんというと背の高いおじさんと捉えられるが「ノッポおじさん」だと固有名詞なのだ。

それでも覚えてもらえただけで嬉しいと思う、とてもミーハーな一般人のMA$AYOなのでした~

| | コメント (29)

たとえ面識の無い人でも

たとえ面識の無い人でも、ブログやメールでのみでしか交流の無い人でも、その人に何らかの出来事があると心配になる。

僕が心配したって何の足しにもならないのはわかっているし「人の心配する前に自分の心配しろ」と言われてしまいそうだが…

それが病気に関する事だとよけいに悪い方へ悪い方へと考えてしまう

僕が入院した初日、若い女性の栄養士が僕の病室に入ろうとした時、別の部屋の男に「そんな死にかけの居るとこ入ったら病気うつるぞ!」と病院中に鳴り響くような声で言われた事がある 事実当時菌が開放してたので隔離されていました

衰弱した身体でくやし涙を流したが自分の置かれた状況と言うのが強く認識できた出来事で、病気を治す為には役にはたったかもしれない。

痛い筋肉注射にも耐えたし(これは半端じゃなく痛い)薬は絶対に飛ばすことなく飲みつづけた。毎食後14錠の薬と粉薬1包を飲み続けるのは苦痛で、点滴を一日二本打つことも苦痛だった。

その当時は一本一本注射針を打ってたので30年経った今でも点滴の後が残っている。なんだか「危ない注射痕」のように見えるのでしばらく半袖が着られなかった。

その患者は後で婦長さん(今は看護士長というのかな)にかなり叱られたらしい

またその出来事の後長期入院していた「Y」さんが、ジュースを手に部屋にきて「あんな言葉気にせんでええからな、先生の言う事ちゃんときいとったら絶対治るさかい」と言ってくれ、それはそれで嬉しく布団の中で涙を流した

先日若年性糖尿病の女性が施設に入所しインシュリンを打たなかったために亡くなったというニュースを見たが、もし、その施設の所長が自らの進める「薬」で治ると言いインシュリンを打たせなかったとしたら、それは「過失」ではなく「殺人」だと僕は思う。詳しい話をそれ以後やらないのでなんともいえないが

二年ほどして身の回りの事が自分でできるようになり菌の開放も無くなってきた頃、湯沸場でその「死にかけ」と言った男に会った。

一度退院したのだが再発して再入院したらしい。

言葉を交わすのはその時が初めてで「あの時はすまなんだなあ、あんた絶対あがってまうと思とったわ」と言っていた。『あがると』は『死ぬ』の意

「今更何を…」と思ったが「ええ、何とか持ち直しました」と応えその場を離れた。

結局4年半の入院生活の後2年半の通院を経て僕は一応その病気から開放された。

ある通院の日世話になった婦長さんに差し入れを持ってナースステーションを訪ねると僕はちょっとした「伝説の人」になっていた。

入院した当時の看護婦(士)、医師、栄養士、レントゲン技師、から食堂のおばちゃんまで99.9999%僕はダメだろうと思ってたらしい。

「21号室の男の子どうなん?」と噂されていたらしい。弱冠20歳で死ぬ生きると言う状況にかなり同情を買っていたのだ。当時の体重は38キロ、まさにガリガリだった

それが治療完了が出るとは誰も思ってなかったそうだ。

婦長さんが「あんたよう頑張ったもんな~」と言ってくれたが患者としてはかなり不良だったと思う。このあたりは過去の記事参照

その時入院時僕を励ましてくれた「Y」さんが半年ほど前に亡くなったことを聞き後で聞くと80歳を過ぎていたらしい、僕を「死にかけ」と言った男がまだ入院している事を知った。

抗生物質をきちんと飲まなかったために菌に耐性が出来てしまい薬が効かないそうだ。

「いい気味だ」とは思えなかった。長期入院の大変さ、辛さを身にしみて知ってる僕には…

どんな病気でも舐めてはいけない。僕も最初風邪かな?と思った病気で七年も病院に掛かるとは思っても見なかった。

| | コメント (18)

神崎じいさまそれは人が悪いぞ

それなら声かけてよ~…それで無くともシャイなんだから僕は…見えんか?

まあこう言うと「なんでわしが…わしはひっそりとしてたいんじゃ」と言うのかな

アウェイ…そうそうそこから話は始まった。

僕もアウェイには同調したね、だってさいしょ完全に疎外されてた感があったからね

壇上とその前の人たちがホームで僕達がいたところはまさにアウェイだった。

暗いよ~狭いよ~だったからね

あの席は甲子園球場の中日ファン状態だったね…僕は阪神ファンだが…

スポンタさんとの話も相槌うってたのでお仲間と思っただろうね

でも正直言うと余り聞こえなかったし(その事は前の記事にも書いたが壇上の人の声が大きく内輪の会話がよく聞こえなかった)彼の話しの内容が小難しかったのでネ

僕は良くわからない話は「笑顔で相槌」を基本としてるので…僕は純日本的小市民なのだ

ただ途中からガラッと変ったけどね、ホームもアウェイもあるかい!!てな感じ

阪神ファンは横浜球場でも風船飛ばしをするのさ顰蹙だけどね

スポンタさんの記事は他所でも書いたけど…「わからん、全然わからん」大滝秀治調だった

僕の読解力が無いからなのかもしれないけど…

次の企画までに読解力と文章力をつけようと思うMA$AYOなのでした~←ココは今日のわんこ調で・・・

| | コメント (21)

ちょっと気になる事がある

ある人からメールが来て写真を送ってくれというので送ったがその後まったく何も言ってこない…メールアドレスで確認をしたので間違いは無いと思うが…

また、同じようなことで写真を送ったがその後音信普通、あとで写真の人ではないとわかった。

あきらかにいたずらメールと思われるものも2通来た。

「先日の打ち上げの写真を送っていただけないでしょうか」ってどこの誰とも知らない人から…

ブログのアドレスとかHPとかを書いていればまだしも、どう見てもYAHOOのフリーメールのアドレス…

相手の正体も分からず人の写真を送れないので無視している

過去のメールアドレスで確認できれば別だが例え写真と言えど軽はずみには送れない

もし間違ったところに送ってたら申し訳ないがその旨連絡して欲しい

メールソフトの「返信」でできるはずなので

誰かが悪意を持ってるような気がしてなんか嫌な気持ちになっている

| | コメント (51)

昨日夢を見た…

昨日変な夢を見た

昔つき合ってた女性が出てきた。

昔と言っても12年ほど前のことでその女性は人の奥さんだった。

旦那の事は僕は知らない、名前も何をしている人かも聞かなかった。聞く必要はないし聞きたくもなかった。

夢では出会いを重ねるうちお互いが離れられなくなってしまう。そんな時に旦那が死んでしまう。

事故なのだが疑いの目を向けられてしまいその内自分が殺してしまったのではないかと自分を疑ってしまう

そんなサスペンス仕立ての夢だった。

夢だけあってかなりの矛盾もあるし、何より結果を見ずに目が覚めてしまったので何がなんだかわからない。

ぜひとも続きが見たいのだがそれこそ叶わぬ夢だろう

それにしても何で今更彼女が夢に出てきたのだろう

夢の中の彼女は当時のままで美人と言うのではないが優しく、僕は夢でありながら心が癒されるのを感じた

僕の深層心理が見させた夢なのだろうか?

そう考えたとき僕は頭を振った。12年間連絡もしてない女性をいくら深層心理とはいえ欲するはずはない

彼女はもうすでに思い出の人になってしまっている。

たまに思い出に浸る事はあるが、いつまでも一人の人を追いかけるような事はしない。

出会いと別れはなすがままでいい、だから僕はストーカーの心理が全く理解出来ない。

きっと僕は「恋」を欲しているのかもしれない

「愛」ではなく「恋」を…

| | コメント (19)

室井佑月さんへのTB記事

なんだかんだ言って僕は楽しかったぞ~

近くで見た姉さん(僕が姉さんと言うと怒るか?)はかなり美人だったぞ

そんな姉さんと肩も組めたし、写真も撮ったし、

普段ほとんど飲まないお酒も美味しかったし、

前の記事では文句たれたけど、こんな経験めったにないことだし、新宿の歌舞伎町なんてここ何年も行ってなかったし

描いた絵をうれしいと言ってくれたし、パネルが欲しいと言ってくれたので今送ってしまったぞ、返品するなよ!

隣に座ってた丸山アカネさんのイラストも描く準備は出来てるぞ、だからドンと来いなのだ

阿部君は…まあいいか(^^)/そのあたりはもう過ぎたこととして終わろう

次の企画…文章力をつけて次も参加するぞ~!!!!今度はボツかな

| | コメント (10)

う~ん…打ち上げ…う~ん

室井佑月ファンの方のお叱りを覚悟で書きます

以下はあくまで僕の印象です

おそらく今回のイベントについては賛否両論あると思います。

僕は室井さんとの交流があればいいなあとは思ってましたが、なんと言っても百人近くが集まるわけですから、そうそうゆっくり自分とだけ話すなんて事は無いだろうなあと思ってました。

そういう意味で僕は今回のイベントにそれほど期待はしてませんでした。もちろん楽しもうとは思ってましたしそれなりに楽しみましたよ

それよりも仲間内のブロガーとの交流の方に重きをおいてたのでそれが叶えられなかったのが残念です(最後、ホントに最後の方で交流はもてましたが)

僕は六時二十分頃行ったのですが、会場に入った時「三流トーク番組の収録会場」かと思いました(^^)

壇上で誰だか知らない人が内輪話で盛り上がっていましたが、業界の内輪話ほどその業界にいないものにとって面白くない話は無いですね

その例に漏れず全然、まったく、すこしも、ちっとも面白くなかったです。

横に座ってた若い進行も「オカマ」ネタと「SEX」ネタで場が盛り上がると思っているのだろうか、

今時の素人のイベンターの方が場を作るのは巧いかもしれない

ただ声が大きいだけで、逆に会場で隣の人との会話にジャマになると思ったぐらいだ。

会場に既に僕の席は無く後ろの方のカウンターの止まり木に座って全体を見渡していた。皆さん早くから来てたみたいです

進行は企画側の一方通行的な会話で我々が参加する事はほとんど無く、室井さんが我々に振ってくれるのを進行が邪魔をしていたきらいがある。

僕の前に座ってた数人の方はそれぞれが知り合いでもないようで「ただいるだけの人」の存在になってました。

周りの人と一切話さず。会場から取り残されているようでサインを求めるでもなく「ほったらかし」にされてましたね

そういう人がそこだけでなくあちこちにいると思いました。

そんな中でブログ仲間以外の「まいち」さんや「アカネ」ちゃん、そして…ゴメン名前わからん(酔ってたのかな)…友達どうし2人で来てた女の子と交流をもてたのは大きな収穫ですハグまでさせてもらっちゃいました~えへへ

ちょっと(かなり?)批判的なナカムラさんと会えたのも収穫です

物事はいろんな視点があってしかるべきで一読をお勧めします

さらに若い女性とハグなんて…何年ぶりだろう…かなり嬉しかったぞ!!←しつこい?

室井さんをお姫さまだっこはできなかったが、それで僕的にはOK(^^)オヤジ~!!

そういうところから僕はプラスマイナスで言えば大きくプラスです(物事をそういう風に考えるのは好きではありませんが)

最後にアベと言うマネージャーがエレベーターの中で「一般の人なんかに酔っ払ってると言われちゃった」と言う言葉がこのイベントの企画側の意思を感じました。

一般の人なんかに

…ま、いいけどね

以下自己弁護的な追記です

いくつかの方のブログを訪れて僕の感じたこととかなり違った感じを持った方も居られます。

たぶんオカマネタとSEXネタで笑った人もいるのでしょう。そのあたりは感性の違いなので誰がどうとか言えません

物事を考える時、大きく分けて二つの方法があると思います

一つは「芯」の出来事にいろんな枝葉、肉付けをして考えるやり方と、全体を見て枝葉や肉をそぎ落として良くやり方と

僕は後者の方で考えました。

その結果企画者側の思惑など一切そぎ落として記事にしてます。

そこには「スタッフが全て無報酬」とか「ワザワザ休みを取って」とか、そんな事はいっさい加味してません

だから「素人以下の企画」とばっさり切り捨ててます

スタッフの方が僕の記事を読むことなんてまずないでしょうが、もし読んだ時「俺たちの苦労も知らないで」と思うでしょうね

正直「知りません」あなたたちの苦労なんて知ったこっちゃないです

僕は、僕が楽しけりゃいいんです。僕のブログ仲間が楽しけりゃいいんです。

会場の隅でワンドリンクのみで4時間一言もしゃべらなかった人の事も知ったこっちゃありません

楽しみたきゃアクティブになればいいんですから

僕はあかねちゃんが横に座ってくれたおかげでスイッチが入り、冬薔薇さんのおかげでエンジンがかかりました。

きっかけなんて小さなことです。自分しだいです。ああいう場所では自分さえ良けりゃいいんです…ここまで言うと言いすぎか…

それで結果楽しけりゃ大大大大満足なんです

一般人はとってもミーハーでわがままで自分勝手なのだ

| | コメント (58)

なにか美味しいものが食べたい

と言っても僕は特にグルメと言うわけではないので普通の食事でいい

トリュフやフォアグラは食べた事ないしキャビアはさほど美味しいとは思えなかった。

松屋の「牛カルビ定食」が美味しいと思うレベルの舌しか持ってない。

インスタントラーメンと白いご飯で夕食を済ませられるし、家で作る料理の最高グレードはカレーだったりする。

そんな僕でもこだわりがある

インスタントラーメンを作る時は玉葱のスライスを入れる。

カレーを作る時は肉をカレーパウダーで炒める。

カップ麺はおかずにはしない、オムレツの卵は焦がさない、すき焼きの時、肉としらたきは離して入れるし、春菊は最後に…これはどこかのCMか…

要は食材にはあまりこだわらずちょっとした工夫でほんの少し美味しく食べたいのだ。

東京へきた当初、醤油の味しかしない「うどん」が食べられなかった。

神戸へ帰ったときは必ず「きつねうどん」を食べた。

友人が「たまに神戸帰ってきたんだから神戸牛の美味しいとこ行こうよ」と言われても頑なに「うどん」を食べに行った。

「うどん」は関西人のアイデンティティのルーツなのかもしれない

「今日昼なに食べる」と聞かれて東京の人は「じゃあ、蕎麦屋にでも…」と言うが関西は「じゃあうどん屋にでも…」と言う

それほどにうどんは実生活に密着しているのだ。

うどんをどんぶりに入れ、大量の鰹節を乗せ醤油をたらし熱湯をかけるだけで「メチャウマのうどん」ができる…ただし鰹節は削りたての物に限る

僕が子供の頃、学生だった叔父が「腹減ったなんか無い」というので祖母がそれを作って食べさせてた

子供心には「なんか貧乏くさいなあ」と思ってたが「マサ坊も食べるか?」と言われ食べてみるとメチャメチャ美味かった。当時祖母は鰹節を塊で買ってて家で削ってた

明治の人はなんでもできるんだなあと今更ながらに思う、その反面、母は料理が苦手で一つの料理を誉めようものなら下手をすると三日にあけず同じメニューが出てくる。

祖母に教わったものは多く「どんな料理でも少しの工夫でちょっと違ったメニューになる」と言うのもその一つ…それって料理だけでなくいろんな事に当てはまりますね

その祖母も亡くなってもう20年近く、あの「ぜんざい」も「シラス入り焼き飯チャーハンではない」も、もう二度と食べる事は出来ないんだなあ…

| | コメント (8)

なにか記事を書こうと思ったが

な~んにも書く事が無い…

脳が仕事モードになると感動するためのスイッチが自動的にOFFになるので心に響くような事が会ったとしても気づかないで済ましてしまいます。

そんな中今日接客した女性…「稲森いずみ」さんをちょっと小柄にした感じですごく魅力がありました。

話し方一つとっても品があってちょっと恋してしまいそうでした…あはは

ひとしきり説明し終えた後「じゃあ明日にでも主人と来ますので…」だって

ホワンホワンホワンホワン~ワワワワ~ン「旦那もちかよ!」

その後で来た若いアベック、それがまた可愛い二人(男も)、まだあまりお金が無いらしく安いエアコンを買っていったのだが、一連のやり取りで「この子ら、ええ子やなあ」と思いました。

そういえば昔、代々木体育館(だったかな?)で全米大学のバスケットボールのイベントで軽食を担当したのだが、そこに来た日本人の若いアベックとのやり取りを思い出した

「シュウマイと肉まんを詰めて下さい、あとお箸もお願いします」

「はい、シュウマイと肉まんと、あとお箸ね………おいくつ?

「二十歳」

男の子の彼女も僕も後ろで並んでいる人も一瞬目が「・」そのあと大爆笑!!!

「ゴメンネ聞き方が悪かったね、お箸はいくつ入れます」とフォローはしたがしばらく笑いが収まらなかった。

仕事をしてるといろいろ面白い事がある…あれ?感動のスイッチ入ってますね~

| | コメント (13)

僕のパソコンヒストリー

20年程前のシャープのX68000と言う16ビットパソコンを買い、それが実質的なパソコンとの出会い

それ以前にMSXという「パソコンもどき」を使ってたがとてもパソコンと呼べるレベルではなかったのでそれは無視

X68000はある意味名機、16ビットのカラーが出る機種はその当時無く、速度も当時としては速いほうだった。クロック10MHz(笑) メモリ6MB(爆笑)

でも肝心のソフトがとても豊富とはいえなかった。

無理して高価なグラフィックソフトも買ったがバグがあり、かなり不自由があった。

それでも6年ほど使った。最後はゲーム機化してたが…その機種は今押し入れで眠っている

そして96年にIBMを買った。

メモリ最大128M、CPUはペンティアム160MHz…バスクロックは66MHz…

当時としては最高機種ではないが、かなり良いほうだった。

USBインターフェースを装備した最初の機種かな…でも当時USBの周辺機器って何も無かった。

そして98年に初めての自作。

IBMを使ってた頃にメモリの増設とかCPUの換装、内部周辺機器の増設を経験したのでそう難しくは無かった。

マザーボードはTYANのもの(型番は忘れた)CPUはスロット1のP3、500Mhz、DVDプレーヤーのみでHDDは10GB…

大きな画像(3000×4000)を描くと処理が追いつかないためフリーズしたような状態になった。

次に組んだのはP3 800Mhzのデュアル(CPU2個)、メモリ768MB、グラフィックボードはNVIDIA、Geforce2ultra64、マザーはリオワークスのSDVIA、これは安定させるまでかなり苦労した。

取り説どおりにドライバをインストールすると正常に起動しない、最初理由がわからず2~3度OSのインストールをやり直しIDEドライバの不適合だとわかった。

一旦安定してしまうと何のトラブルも無く動き数年その機種を使いつづけました。

でも大判プリンタの導入により処理速度とメモリ不足から更にハイスペック機の必要に迫られ今の機種を組み立てました。

P4 2.4G X68000の240倍  メモリ2G 同 330倍

性能的に不満は無いはずなのに更に性能の向上を求めてしまう

人間の欲望は際限が無い…

| | コメント (54)

« 2006年4月 | トップページ | 2006年6月 »