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ピッカピッカの一年生

室井佑月さんのご子息が小学校入学らしい

まずはおめでとうございま~~す

いっぱい友達作っていっぱい遊んでいっぱい勉強して強い男になって欲しい

彼が僕の歳になる頃日本は、世界はどんなになってるんだろう…なんて思ってしまった

50年前…

僕が四歳の頃、母は離婚し朝から晩まで働いていた

すぐ上の姉の入学式に長姉が付き添い、僕も一緒に行った

入学式の写真に母の姿は無く姉と長姉と僕が他の児童に囲まれて写っている

少々ユーモラスではあるのだがその写真には当時の日本が背景にある

神戸の東に位置するその小学校は立地的に変わっていて

凄いお金持ちと僕のような限りなく貧民に近い暮らしの家庭の子が混ざって勉強していた

時々赤ちゃんをおんぶして登校する児童が居ると思えば遅刻しそうだといって学校の近くまで車で送ってくる親もいた(当時車を持っている家なんて超がつくほどのお金持ち)

今の格差社会など比じゃないぐらいの格差が小学校の中にあった

でも赤ちゃんをおんぶして登校する子をバカにする人は居なかったし、赤ちゃんがぐずりだしても『勉強の邪魔』などと言って騒ぐ親も居なかった時代だ

もちろん高度成長につれそういう貧民のような児童も居なくなるのだが、それでも全国の工事現場を親についてまわる子供もいた

実名を出すと『花本修』という同級生が居た

何故40年以上前のそれも半年ほど一緒に机を並べただけの名前を覚えているかと言うと彼が転校して来て紹介された時『サイダーと呼んでください』と言ったからだ

『花本修』→『かぽんしゅう』→『カポン…シュ~』でサイダーと言うらしい

クラスでそのネタは少なからずウケタ

特別人気者になったわけではないが転校の初日から少なくともみんなと話をする事は出来た

度々転校する彼がその中で考え出した彼なりの『つかみ』だったのだろう

彼とは帰る方向が一緒で毎日のように一緒に帰った

虚弱体質だった僕と違って彼は運動は得意だった

泣き虫だった僕と違って彼は決して涙を見せなかった

勉強が出来ない僕と違って彼は…いや…やっぱり勉強は出来なかった

でもある日些細な事で彼と喧嘩をした

たぶん原因はブランコを替わってくれなかったとか、そういうたわいの無いことだったと思う

子供は変に頑固なところがあり、それ以来口を利かなくなり次第に疎遠になってしまった

そしてある休み明け(たしか冬休み明け)彼の姿が無かった

担任の先生は『花本君は父親の仕事の関係で冬休みの間に転校しました』と短く伝えクラスの誰も彼が転校した事を残念がる様子は無かった

そして僕自身「ああ、転校したんや」で済んでしまったのだ

人生の黄昏に差し掛かると過去の思いが沈殿している澱のように感じる時がある

あの時、あの諍いがあった次の日、例え謝らなくても素直に声をかけていれば彼との繋がりはもっと違ったものになってたかもしれない

それは小さな悔いとなって心に残り、時折小さな悲しみとなって記憶の表面に現れるのだ

 

 

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コメント

MASAYOさんってさぁ~
文章も書くの巧いよね。
しずかーに読み進めさせていくって難しいと思うんだけど・・・うまい。
(私が言っても 説得力も何にも無いんだけど こっちは文章力皆無だし・・・)

とっても 良い話し^^)

投稿: teru | 2007/04/07 22:51

うひひ
ほめられちったい

ブタもおだてりゃ東京タワーだって登ります

投稿: MA$AYO | 2007/04/07 23:33

いつ 登るのぉ~~ 
観にいくよ☆

投稿: teru | 2007/04/08 08:02

来週の日曜・・・って死ぬわ!!!

投稿: MA$AYO | 2007/04/08 23:08

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