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良いお年を…

誕生日、クリスマスも終わり町は年末の喧騒の中

僕は明日休み、あとは年末いっぱいまで仕事、年明けは元旦と二日だけ休み、それ以後は通常どおりの仕事

日給月給で働いてるので休むとその分手取りが減る。

だから特に身体に異常がない限り休む事はしない

今年も残すところ今日を入れて5日、何事もなく過ぎることを願う

この一年ブログを訪れてくれた皆様に感謝を込めて…

☆    ☆~      ☆~

        

  ☆     ☆~~

よいお年を~~~~☆☆☆!!!!!

 

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クリスマス…かあ…

日本人は宗教を問わずありとあらゆるイベントに参加する

クリスマスはもちろんキリスト教だし初詣は神社、お年玉は儒教から来てるらしい

お彼岸とかお盆は仏教かな?

さすがにイスラムの礼拝をする人は少ないらしいけどゼロではないらしい

で、クリスマスの話

宗教云々じゃなく単にイベントして楽しむのもアリでしょ

バブルの頃は湾岸の有名ホテルに彼女を誘って一晩10万もする部屋に泊まるなんてことを25~6才のガキがやってた

ティファニーのショーケースに男がむらがってるのを見て気持ち悪く思ったのもその頃

ま、自分の金でやるんだから僕がとやかく言うことじゃないんだけどね

それぞれの人が各々の価値観の中で楽しめば良いんでしょ

 

…で、僕は…仕事じゃ~~~…なんて言うと仕事がなかったら彼女とホテルのスイートルームかと言うと実は何の予定もありゃしないのだ

悲しい中年の寂しいクリスマスなのだ

せめて鶏ももぐらいは食ってシャンペンでも…と今は思ってるけど結局唐あげと缶チューハイで済ませてしまうのだろう

まあいいや…うちは代々浄土真宗だし…

 

 

 

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ちょっと早めの

メリークリスマス

   Ribonrice

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神様の時間 その2

 『陣急性結核』が大庭の病名だった。
昔患った結核の跡の組織が年齢とともに脆くなりそこを走る血管が破れ出血にいたったと言う診断だった。
確かに昔結核と診断されたことはある。
不利になるので履歴書には記入しなかったが半年ほどの入院ですみ、何しろ三〇年以上前のことである。
それぐらいのことであれだけの出血をするのか疑問だったがとにかく緊急に『血管塞栓術』を施しとりあえず出血は止まった。
一ヶ月の入院中、上司からは花束が宅配便で届いただけで見舞いに来たのは川田と名前も知らないOLの二人だけだった。
その二人も見舞いの果物籠を置くと早々に帰ってしまった。
仕事のことは気になったが今は体を治す事が先決と考え溜まっていた有休を使って休むことにした。だが組織は停滞を嫌った。
二週間後に大庭が戻った時、元の場所に居場所はなく、別の男が大庭に取って代わっていて、部下は大庭の顔を見るなり困惑と追従の笑いとありきたりの見舞いの言葉を返した。
その日のうちに石上に呼ばれ辞令を渡された。
『第二営業部転任を命ず』と言うものだった。
第二営業部は大庭が所属していた第一営業部に比べ主幹商品外の商品を扱う部門で人員も幾分のんびりしている。
表面上は大庭の体をいたわっての人事だが実質は降格人事だった。
しばらくして大庭は辞表を提出し形だけの慰留のあとそれは受理された。
別にプライドを傷つけられたと言うのではなく会社の中に自分の存在意義を見つけられなくなったためと言った方があたっている。
そういう経緯はともかく、大庭は中年にして始めて失業者と言う経験をした。
マンションは自分のものでローンが残っているわけではないし貯金もそれなりにあるのでしばらくは食うに困ることはない。
だがそういったこと以上に何もすることが無いというのが辛かった。
コーヒーを点てトーストを焼き簡単な野菜サラダを作って食べ、メジャーリーグの野球を見ると言うのが一日の始まりになった。
別に日本人選手の活躍を見たいと言うわけではなかったが他の局はドラマの再放送や芸能ニュースしかやってないので必然的にこのチャンネルに合わせるようになった。
当然接待することもされる事も無くなったので日々の食事も自分で調達しなければならなくなり近くの商店街へ買い物に行くのが日課になった。
通いの家政婦の来る日を増やそうかとも思ったが自分のテリトリーに今まで以上に他人に入られるのが嫌な気がしてやめることにした。
恭子にも娘の恵理子にも知らせずに何とか自分でやりたかった。
それは意地とか見栄と言うのではなく、頼める筋合いでは無いと思っていたからだった。
大庭は買い物へ行くのにもきちんと折り目の入ったスラックスにネクタイを締めて行った。
当初何をどう選んだらいいのかさえもわからず八百屋の前でまごまごしているとあまりにも場違いな成りの大庭に店主らしき同年輩の男が声をかけてきた。
「ご主人、今日奥さんの替わりかい」
「いや、別にそういうわけではないのだが」
唐突に声をかけられ東西精工の部長の返事をした。
「もし献立決まってないんだったら今日、前の魚堅に秋刀魚の良いのが入ってるから一緒に大根おろしなんかどうだい」
「最近の八百屋は魚のセールスもするのか」
真面目に質問を返す大庭に店主は大笑いをした。
「そんな事言ったのご主人が初めてよ」
横にいたこの男の妻と思しき女が笑いながら答えた。
「旦那、奥さん連中が一日の中で一番困ることって何だか知ってるかい」
そう聞かれても大庭には見当もつかなかった。
「晩ご飯の献立を考えることだよ、いくらおいしくても毎日ステーキってわけにも行かないだろ、子供が居ちゃ栄養のことも考えなきゃいけないしね」
大庭は「なるほど」と思った。
恭子がそんなことに頭を悩ませていたとは思いもよらなかったし、その考えに考えて作った料理を大庭はほとんど口にしたこともなかった。
「逃げられるわけだな」
呟くように言った。
「ところで旦那どうします」
店主は大庭の呟きは聞こえなかったらしく商売っ気を出してきた。
「じゃあ、大根を一本貰います」
「はいよ毎度あり」
結局大庭は店主の言うとおり秋刀魚と大根おろしの夕食になったが、大庭にとってその買い物の経験は何か懐かしく、それでいて新鮮で楽しく、サラダのドレッシングに十数種もあることすら知らなかった。
料亭で出される料理はすでに完成品で食べる側がどうこうできる物ではなかった。
スラックスにワイシャツ、革靴の中年男が週二回決まって買い物をする姿はある種の同情を買うらしく総菜屋の店主がおまけにサラダを付けてくれるようになった。
はじめは断っていた大庭だったがその店主の屈託のない笑顔に次第に打ち解け遠慮しなくなっていた。
大庭自身、精神のタガが少しずつ緩んでいくのを感じた。
だがそれは、決して不愉快というのではなくむしろ自分の本来の姿が見えてきたような気がした。
どうやら商店街の人は大庭のことをリストラされ妻に逃げられた万年平社員とでも思っているようで、それが半ば当たっているだけに大庭はおかしく、人が悪いとは思ったがそのままあえて否定はせずにいた。
大会社の部長だろうが零細企業の平社員だろうが企業と言う衣を脱いでしまえば誰でも同じで小さな出来事に心を動かされてしまうのかもしれない。
だが大会社の部長と零細企業の平社員の違いが出る出来事が起きた。
その日大庭はクリーニングを出すために紙袋を一杯にして商店街の半ばにあるクリーニング店に向かっていた。
すでに通いの家政婦は断って身の回りのことは自分でするようになっていた。その出で立ちもスーパーで買ったポロシャツにその隣に下がってた綿のスラックス、革靴はサンダルに変わっていた。

いつも行く魚屋の前に人だかりがあり、その中に背の高い青い目の外国人が困った顔で佇んでいる。
「どうかしましたか」
声をかけた大庭の顔を見るなりその外国人が
わめくように、それでいて請うように大庭に向かって話しかけてきた。
どうやらフランス語らしかったが、かなり訛りを感じた。それを制してもう一度今度は魚屋のおじさんに聞いた。
「どうしたんです」
「いえね、この人裏のアパートに住んでるセーネさんて言うんですが一ヶ月ほど国へ帰ってて今日またやって来たんです」
「裏のアパートっておじさんアパートも経営してるの」
「いえ私の妹がね、それはいいんですが…」
両方の話を聞くとトラブルの原因はこうだった。
ベルギー人のセーネが留学のため来日しアパートを借りたがそのアパートは部屋代として
三万五千円、光熱費として五千円、計四万円を毎月払う契約になっていた。
セーネは国へ帰って居なかった一ヶ月の光熱費をなぜ払わなければならないのかと言うことだった。
大庭が間に立ち続きはセーネの部屋ですることになった。
「光熱費五千円というのは?」
「部屋割りと言う奴でそれぞれの部屋に電気やガスのメーターがついてないので使っても使わなくても五千円貰ってるんです」
「契約書にそのことは書いてあるんですか」
「もちろん」
出された契約書には確かにそのことは書かれてある、だがそれは全て日本語で字は小さくとても日本語を話せない外国人に理解させるのは無理だろう
「不動産屋はなんといってるんです」
「それがセーネさんとは不動産屋を通さず直接契約したんです」
「この契約書は彼に見せたんですね」
大庭は次第に東西精工の部長の顔になってきていた
「ええ、もちろん」
「その時この契約書の内容をこの人が理解したと思われましたか」
「理解したかって…それはその人の…」
「勝手…じゃないんですよ、契約書を交わす時その契約書の内容を相手が理解する能力や方法を伴ってないときに交わされた契約はそれを無効にされる場合があるんです」
「そんな、それじゃ泣き寝入りって事」
「最後まで聞いてください、この場合セーネさんがその契約内容を理解してない状態で契約したのは明らかですがサインをしたセーネさんにも非はあります」
それを聞いていくらかホッとしたような表情を浮かべた分セーネは不安そうな顔をしている。
「おじさんこのセーネさんという青年は住んでいる時、問題はありましたか」
「問題って?」
「例えば生活習慣の違いから周りの人に迷惑をかけるとか」
「そんなことは全く、どちらかといえばいい店子さんだったわ」
答えたのはそれまで黙って聞いていたおかみさんだった。
「じゃ、この問題が解決したら継続して住んで貰っていいんですね」
「ええ、そちらさんさえよければ」
こういう契約の場合それが大事だった。
取引先とトラブルがあった場合以後の契約を継続するか打ち切るかで対応は一八〇度変わってくる。
大庭は同じ事をセーネにも聞いた。
フランス語では通じず結局ドイツ語で話したほうが通じた。
日本人にはフランス語のあの鼻を抜くような発音がし辛く歯切れのいいドイツ語のほうがまだ発音しやすかった。
セーネはこれ以上高い家賃のところには住めない上引越しの費用も捻出できないので継続して住みたいと言った。
「おじさん、その五千円何とかならない、セーネさんも継続して住みたがってるんだけど」
「でもよう、他の店子さんの手前もあるしなあ」
「それと、使用してない電気代を請求すると厳密に言うと詐欺になります気をつけてください」
「お、おどかすなよ」
「例えば基本料金を決めて後は日数で割り出すとかできないんですか」
「じゃ、細かいことは後で決めるとして今回はおれっちのほうで泣くよ」
「その方がいいですね、じゃ、今回は基本料金として千円請求するということでいいですか」
「ああ、もう大庭さんに任せるよ」
大庭はセーネに基本料金のことを話し何とかわかってもらう事ができた。
この若者も異国の言葉のわからないところで理解できない請求を誰に相談できるわけでもなく困り果てていたようだ。
あんな型どおりの契約書ではこれからも同じような問題がおきるだろう
「もしよかったらドイツ語と英語の契約書概要作ってあげるよ」
「契約書概要って?」
「それ自体は契約書としては有効じゃないけど外国の人が契約書の内容を理解しやすいようにまとめたレポート…って言ったらいいのかな」
「そんなのがあれば助かるよ」
「おじさんのアパート何カ国の人が住んでるの」
「ええと、セーネさんがベルギー人だろ、あとアメリカ人と中国人とパキスタン人の女の子」
「国際色豊かだね、じゃあ英語とドイツ語と中国語でいいね」
これだけいろんな国の人間が集まってコミニュケーションがとれるのかと心配にもなったがそれは言わずにいた。
「助かるよ、それにしても大庭さんって何者?」
「僕、僕はリストラされたしがない…」
「そんなこと絶対ないね、ドイツ語と英語と中国語を流暢に話せる人をリストラする会社なんてあるわけない」
今時外国言語が得意だからリストラされないなんて事があるわけがないのだが商店街で働く人には特殊な能力に見えるのだろう。
何はともあれ大庭には自分の能力を生かすことができる仕事が一つできた。
もちろん仕事といっても報酬を貰うわけではないが最近パソコンを立ち上げてさえもいない大庭には小さな刺激にもなる。
セーネが備え付けの小さな冷蔵庫からコップにウーロン茶を入れて持ってきた。
この青年にすれば精一杯のもてなしの気持ちなんだろう
大庭は部屋の中をあらためて見渡した。
六帖に小さなキッチンがついた部屋の突き当たりの窓には薄いグリーンのカーテンが西日をさえぎっており、シングルのベッドがその部屋の三分の一を占有していた。
タンスはなく押入れをワードローブ代わりにしているようだ。
若い人によくある乱雑さはなく台所のコンロもきれいに磨かれてあった。
セーネがカーテンを開けた時、逆光に映るセーネの姿が大庭の脳裏にはるか昔の記憶を蘇らせた。
学生時代は親の仕送りがわずかで食費に事欠いたこともあったが同じ下宿人同士で金を出し合いわけのわからない鍋をつついたこともあった。
一度など寄せ鍋に誰かが大量にニンニクを入れてしまいアパート全体がニンニク臭くなってしまったことがあった。
それでも翌日には鍋は空になっていてそのアパートに住んでいるもの全員が学校で臭い臭いと笑われたことがあった。
「あの頃の自分は笑っていた。声を上げて笑っていた。いつ頃からだろう笑わなくなったのは、結婚した頃…いやもっと前だった気がする、入社した頃…いやもっと前だ」
その時記憶のかなたに沈んでいた名前が浮かんだ。
「伸子…」
それは大庭の青春の中で封印した名前だった。
大庭には何にも変え難い思いで愛していたが伸子にはそうではなかったのか、約束した場所へは現れなかった。
「そういえば、あの日から俺は声を出して笑わなくなったんだ」
今思えば他愛ない恋だったのかもしれないが当時の大庭には真実以外何物でもなく唯一無二の愛だった。
「あの頃は俺も若かったな」
大庭の記憶の中でまだ二十歳の伸子が笑っていた。
確かに笑っているはずなのだが大庭にはその顔が泣き顔に見えた。

 

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