冬季オリンピック・・・らしい
これほど興味の無いオリンピックもめずらしい
冬季ということで最近あまりなじみが無いスポーツのせいかもしれないが笑ってしまうほど全く興味が無い
出場する選手も過去にメダルを取った選手とか時々テレビで特集を組まれるような選手とか、各競技の選考会も成績で選ぶのではなく出したい人を選んでるような気がする
前回、よく知らない競技だけどメダル確実と言われた若い選手が失敗し声を上げて泣いていた
それをみて「恥さらし」と思ったのは僕だけではないはずだ
別にメダルを取れなかったから恥ではなくその競技後の醜態が恥さらしなのだ
シドニーの柔道無差別であきらかなミスジャッジで金を逃した篠原選手の「負けたのは僕が弱いから」と言う潔さをよく知って欲しい
そもそもこの不況下でオリンピックなど必要なのか?
選手の倍ほどの金魚の糞を連れ、一部の人間の名誉と栄光のために血税を使い、金だ銀だと朝から晩までテレビは取り上げているが
日本の年間自殺者は32000人、自殺ではないが「無縁死」とよばれる行き倒れ、引き取り手の無い孤独死が34000人
そういった人へのケアはなく日の丸を背負った人には莫大な支援
路傍の石のような人も日本に生まれ育ったからには何らかの日の丸を背負っているのだ
市井の片隅でオリンピックなどに縁もゆかりも無く乳飲み子に乳を与える母親、労働を終えて寝ている乳飲み子の頬をつついて幸福を感じる父親の背中にも日の丸は付いているのだ
日の丸をこういう風に使うとぐちゃぐちゃ言う人が居るんだろうな
さらにパラリンピック
僕は障害者なので書いても許されるだろう
パラリンピックでメダルを取るのは・・・というよりパラリンピックに出場できるのは経済的に裕福な国、または個人しかいない
つまり究極の大富豪ゲームなのだ、もちろん日本もその中に入る
当然経済的支援を受けて貧困国から出場する選手も居るには居るがそれはあくまで「招待選手」に近いものがあってその国を挙げてと言うものではない
以前神戸で行われたユニバーシアード(?)で車椅子マラソンの街路応援に出かけたことがある
車輪が「ハ」の字になった車椅子で上半身すごい筋肉の選手がものすごいスピードで走り抜けていった
応援してた周りの人が「ほんまに障害者か?」と感嘆してたが、僕も同じ感想を持った
障害者は何をするにもモタモタとヨロヨロと、と言うのは差別以外何物でもないし一級の障害を持つ僕自身それなりにキビキビ動ける…と思う(但し長時間は無理)
さらにその車椅子自体がジュラルミンとチタンを使った特注で100万とか200万とか、ものによってはそれ以上するらしい
そんな競技に、たとえ日本人でも一般のサラリーマンを親に持つ子供には無理だと思う
そんな環境の中でとったパラリンピックの金メダルにどれほどの価値があるのだろう
「参加することに意義がある」とは「弱くても参加できる」と言う意味にあらず、その努力に価値がありその努力が人間をより貴くへ導くと言う意味だが、
クーベルタン男爵のこの言葉が虚しく聞こえるのは僕だけだろうか
※ 厳密にはクーベルタン男爵の言葉じゃないんだけどね
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コメント
皆さんのブログ
難しいことが書いてありますね
自分は馬鹿なので
とても無理です
なのでこれからも
くだらないと言われつつも
マイペースでやっていきます
投稿: 左ぎっちょ | 2010/02/10 01:06
投稿: 左ぎっちょ | 2010/02/10 01:07
くだらないなんて誰も思わないよ~
ブログって「日々の記録」みたいなもんだから、楽しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと、思ってること書きゃあいいんだと思う
投稿: MASAYO | 2010/02/10 09:38
辛子明太子
ご馳走様でした
とても、おいしかったです
たまには、ブログ更新してください
ついでにおいらのブログに
コメント、お願いします
投稿: 左ぎっちょ | 2010/03/02 01:14