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新シーズン開始

ノッポおじさんの日常

ノッポおじさんの黄昏

ノッポおじさんの煩悩

で…多分最終シーズン

『ノッポおじさんの無常』です

さまざまな事情から更新はあまり出来ませんし、幾分シニカルな記事が占めるので気分を悪くする方も居られるかもしれませんが還暦爺の能書きだと思って時々見てやってください

  

   

で、新シーズン記念の一本目は映画の話

『怒りの孤島』と言う映画をご存知だろうか

1958年の作品だから50年以上前の作品だ

この映画を僕は6歳の時に見たことになる

憶えているのは小さなニワトリ小屋のような檻の中に閉じ込められた少年が泣き叫ぶシーンだけだ

物語の背景や主人公の心の動きとかは一切記憶に無い

ただ、あのシーンを思い出すだけで重く暗澹とした気持ちにさせられる

ストーリーは実話を基にしている

瀬戸内海の小さな島

その中でも鯛の一本釣りをする親方は絶対君主で舵子(だこ)とよばれる船を操る少年を支配している

その少年たちは農村の娘が女衒に売られるのと同じように親に売られたもの

戦後の混乱期に親も無く頼るものも無い少年をひとまとめにし人買いのように売られたもの

もちろん少年たちには甘い言葉(と言っても布団で寝られて三度の飯が食えるぐらいの事)で騙されて連れて来られていた

そこにある日、幸太郎と言う少年ら7人が連れてこられるのだが、前から居た少年”鉄”は朝から晩までこき使われ怒鳴られ殴られいつしか無表情な少年になってしまっている

それでも鉄は友達の直二(彼が鶏小屋に閉じ込められ泣き叫んでいた少年)にわずかばかりの食事を運ぶ

直二は空腹のあまり小魚を盗んだためそんな目にあっている

島は親方と舵子だけではなくむしろいわゆる普通に生活をしている家庭がほとんどで子供は小学校、中学校へ行き親元で幸福に暮らしている

親方と蛇子は少数派で身なりも汚く学校へも行ってない

そういったところから蔑視されている

結局少年たちは島を脱出しようとするのだが鶏小屋の直二はその日すでに餓死してしまっていた

鉄は直二の死体を背負って逃げようとしたが結局親方に捕まってしまう

そしてむごい仕打ちを受けて瀕死の重傷を負ってしまう

それを見た分教場の先生の娘”絹子”(二木てるみさんです)は鉄を引き取って看護し鉄は一命を取り留める

一方脱出した少年は逃げおおせたとはいえ生活の糧が無い

結局かっぱらいや置き引きで生活をするのだが警察に捕まりはじめて島の実情が明らかになる

   

   

要約すればこういう物語なのだがこれが事実に基づいた話であると言うところが悲しい

で、この話の中で悪いのは誰なんだろう

親方なのだろうか、この少年たちの親なのだろうか、国の行政?

その全てが絡み合ってこの悲劇があったのだろう

でも、僕は島民の無関心が罪が重いと思う

 

少年たちがそんな目にあってることを島民たちが知らないはずが無いし、もし自分がモノを言う勇気が無いなら50年以上前で社会情勢が違うといってしまえばそれまでだが、何らかの別の方法があったと思う

見てみぬ振りは罪を犯す当事者より罪は重いのではないか

    

   

この『怒りの孤島』に似た事件が最近あった

2歳と3歳の子供を置き去りにし遊び呆けた末二人の子供を餓死させた23歳の母親の事件だ

周りの住民は何度も何度も児童相談所に連絡を入れたのだが担当は部屋を訪れてノックしたが誰も出なかったと言う

この担当は表現する言葉が無いぐらい馬鹿で無責任な人だ

3歳の子供が、もしかしたら飢えて動けなくなってしまっているかもしれない子供がノックをしたらドアを開けると思っているのだろうか

なぜ、もう少し、ほんの少しでいいから想像力を働かせなかったのだろう

「中で倒れてるかもしれない」と、そして現実に倒れてたのだ

もし倒れてなく元気に暮らしてたら…そんなことは望むべくも無いが…それはそれでよしとすればいいことではないのか

法律的にこの担当を罰することは出来ない

彼らは金科玉条のごとく『我々には権限が無い』と言う

小さな子供の命よりも己に責任の火の粉がかからないように行動するのが児童相談所なら児童相談所など潰し、もっと行動できるシステムを作るべきだ

   

因みに家の前にパチンコ屋さんの駐車場がある

未だに馬鹿な親が子供を車内に残したままパチンコに興じていることがあるらしい

そこのパチンコ屋さんは時々見回りをしもし子供を車内に放置していると認められれば呼び出しを掛け、現れない場合は警察を呼ぶことになっているらしい

もちろん子供を車内に残してパチンコに興じるような親だからグダグダと言う人もいるだろう、でも子供が熱中症で亡くなるよりははるかにいい

 

児童相談所の担当はこのパチンコ屋の従業員レベルのことも出来ないのだ

といったらパチンコ屋の従業員に失礼だろうか

 

  

  

  

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終戦記念日

ブログは現在閉鎖中ですが、終戦記念日の記事だけはアップします

『帰國』というドラマをやっていた

実は裏番組のハリウッド映画を見ていて全部は見てないのだが大まかな流れと雰囲気はわかる

一昨年の八月に書いた記事の50年近く前の映画のリメイクなのか?それともリメイクの意思は無く作ったのか

当然映像的にも全体の作りも格段に良くなっている

再放送があったら録画してでもじっくり見たい

 

戦争が終わって65年になる

僕は戦争を知らない世代だが子供の頃街角に傷痍軍人が物乞いをしてたのを見たことがあるし戦争孤児と言うのがまだ存在した時代だ

日本はサンフランシスコ講和条約以降経済の発展に特化した政策を行ってきて高度経済成長を果たした

昭和39年に東京オリンピックがあったが実はその年まで日本人は海外に遊びに行くなんてことは出来なかった

渡航の自由化で、アップダウンクイズの『さあ、夢のハワイへ行きましょう』というフレーズが日本人の『夢』をくすぐったのだが、当時1$は360円…大学の初任給が2万とか3万の時代に40万とか50万必要だったと記憶している

まさに『夢のさらにまた夢のハワイ』だったのだ

 

そんな日本の発展は同時に多くの問題を切り捨ててきた

知っているだろうか『中国残留孤児』と言うのは終戦時13歳以上の年齢に達していた子には適用されない

『当時13歳だったら日本に帰るか中国に残るか自分で判断が出来、中国に残ったのは自分の判断によるもの』だそうだ

思考法が机の上で構想した論法でいかにも役人と言える

また終戦時、中国は蒋介石率いる国民党軍と毛沢東率いる共産党軍がすでにぶつかり合っており双方軍事の専門家を必要としていて特に日本人の下士官クラスを必要としていた

下士官は現実の先頭に長けておりアメリカの日本空襲で一家全滅したような人はそのまま中国軍に残ったりもした

もちろんビルマやそれ以外の国にもそういう人はいた

そういう人が高齢になるにつれ日本に帰りたいと思うのも仕方の無いことだと思う

今から20年ほど前、何人かの元軍人が帰国願いを出したが、日本の厚生省(当時)はそういう人の帰国を認めず、いくつかの自治体はその人の抄本や謄本を破棄しその人の存在を消滅させると言う手法に出た

たしかに戦後帰国をせず日本の一番苦しい時に寄与せず経済が良くなったから帰りたいというのは虫のいい話かもしれない

でも、そういう人に人生の最後を日本で迎えさせると言うのがそれほど費用がかかることなのか

たしかに残留孤児2人の帰国に50人の介護、さらにその全員が生活保護申請などという異常な状況もあるが、それはきちんとしたシステムを構築すれば防げるのではないか

末端の担当者やその地区の長にそれに対処する能力があればいいだけのことでそれほど難しいことではないと思う

逆に言えばそんことも対処出来ない末端の担当者や長は己の能力不足を恥じて一日も早く辞表を書かなければならない

   

一昔か二昔前、社会党かどこかの女性議員が日本の軍国化に異議を唱え『あなたの子供を戦地に送ってもいいのですか』と言うようなことをヒステリックに叫んでた

当時、そういった政治家自体無能ヒステリック集団だったのでニュースにもならなかったが誰かコメンテーターが『他の国の若者を戦地に送るのは良いんでしょうねえ』といくぶん馬鹿にした口調で言ってたのを思い出す

社会党の流れを汲む社民党はまさに解党寸前だが自衛隊をテーマにある討論番組で党首が『戦争にならないように話し合いをする』『自衛隊があるから戦争が起こる』と言うようなことを言ってた

本当に成長の無い党だが気になったのは『話し合いをする』が全面にありその次が無いことだ

彼女の論法だと沖縄を空襲されても話し合い、九州上陸でも話し合い、きっと国会議事堂が敵国に包囲されて始めて自分の無能さに気づくんじゃないかな

全ての国の『外交』は右手で握手をしながら左手でナイフを持って無くてはならないと言うことを彼女には理解できないのだろう

 

戦争は絶対にするべきではない

戦争と言う手段を選ばないようにありとあらゆる手段を講じなければならない

でも…それでも戦争になったら…

国内は一致団結し勝つためにありとあらゆる手段を講じて勝たなければならない

 

300万人の英霊に合掌 

 

 

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