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一億総自粛ムード

日本全国総自粛ムードですね

せっかく咲いた桜なのに「被災地のことを思うとお花見なんて…」という気分が日本全国に蔓延してるみたいです

でも、ちょっと待って

別にいいんじゃないかなあ~

被災者の人たちだって「我々がこんな時にお花見かよ!!」なんて思わないと思うよ

むしろ、地震の影響の無かった地域の人が普通の経済活動をすることによって経済が復旧するんじゃないかなあ

風吹けば桶屋が儲かるじゃないけど経済が回れば被災地の復旧も早くなると思うよ

それに、近所のパチンコ屋さんは震災後から大盛況…まあ節電と計画停電の影響があるので若干の制限は有るけどね 

  

ある女性の作家さんが震災後にお鮨を食べに行き、被災した東北のことを思い、しばらくお鮨も食べられなくなるかも…と言うような記事を書いたところ批難轟々だったそうである

東北があんなことになってるのにお鮨の心配か!!という論調のものが多かったらしい

なんか…日本人の一番良くないところのような気がする

人の痛みを自分の痛みとして感じることが出来るのは優しさなんだろうけど、でも、それはそれこれはこれ、で割り切らなければならないこともある

   

福知山線の脱線事故の時、JRというだけで管理エリアの違う従業員が飲み会を開いてて、それをマスコミが「これでもか」と言うぐらいに批難した

そのうちに「JRの社員はこんな時に牛丼の特盛りを食べてます」なんて言い出すんじゃないかと言うと友人は「いやいや、そのうちJRの社員はこんな非常時にこんなに太いうんこをしてます」なんて言い出しかねないね

などと、今でこそ言えるが被害に合った人にぶん殴られそうな会話をしてた記憶がある

相撲の八百長が発覚すると一億総相撲叩き。

読売のナベツネがプロ野球開幕について傲慢な発言をすると総叩き…まあ僕も彼のことは大嫌いだけどね…というより見苦しく年をとった典型かもしれない

  

僕自身匿名で書いてるので強く言えた義理ではないが

匿名掲示板の限界と危うさを感じる

韓国ではタレントを自殺に追い込むことがある

まあ、民族性の違いと言ってしまえばそれまでだけど、自分の書くことに自分が酔ってしまってるのかな?

物事には必ず多面性が有り、自分の意見を述べる時、別の方向からその意見を考える

つまり『自分の言いたいことばっかり言うんじゃなくて人の話も聞きなさい』というやつだ

まあ、人の意見を聞きすぎて何も言えない日本になってしまっているきらいは有るが、でも美徳の一つではある

YAHOOの掲示板とかを見ていると、コメントが1000を超えると意見の合う者合わないものがはっきりしてきてお互いの罵りの場になってしまっている

そうなるといくら正当な事を言ってても見てる側には目くそと鼻くその罵り合いになってしまう

 

最近減ったが以前わけのわからないメールに悩まされていた

※ 30代のキャリアウーマンに中だしで3万ゲット

   http://※※※.~~~.jp

こんなのに引っかかる人っているんだろうか?

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3月25日プロ野球開幕

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やる意味有るのか?

ましてや巨人は東京ドームでナイターって・・・

東京ドームでナイターをすると1時間で6000世帯分の電気を消費する

そして東京ドームとかあのあたりは国の『中枢』と言うことで計画停電の対象外だ

先日18:20分から10:00まで停電したが、半端じゃなく寒かった。

それでも被災地のことを考えればそれも仕方がないと無理やり納得した

でも、巨人がナイターをしてるのに、それ以外の地域が停電するなんて、それは話が違う

さらに、ある掲示板でどこかの馬鹿が「私の地域(文京区?)では計画停電なんかしてないので電気は余ってる」なんてぬかしていた

多分そいつは「被災地にはお米が無いの?じゃあお菓子を食べればいいじゃない」なんて言うんだろう

都心に住むそいつは「都心」という恵まれた状況の中にいて周りのことに気がついてないんだろう

電車が間引きされているために1時間早く家を出て、帰宅は駅で1時間以上まって電車に乗れればまだいい方で、下手をすれば20キロの道のりを歩く羽目になる

こうなれば今のような「不公平計画停電」ではなく地域に差をつけずに停電させるべきなのかもしれない

 

 

 

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ボランティアを

ボランティアを悪いとは言わないが、もしそういった経験が全く無く、自己完結できないのなら被災地にとって迷惑この上ない存在です

被災地には『穀つぶしボランティア』なるものが存在します

身ひとつで行き、行った先で何をするでもなく…と言うより何をしていいかも判らず…被災地の貴重な水を飲み食料を食べ、日がなぶらぶらし現地の気が合った人とくっちゃべる

それでボランティアをしたような気になる

それで後日、「おれ、あの時東北にボランティアに行ったんだけど大変だったよ」と自慢話のように人に話すのだろう

海外から数多くの援助隊が来てくれたが彼らは自分たちの行動期間分の水や食事を用意し、ある程度の薬から簡易トイレまで備え現地の水は一滴たりとも飲まないと言う

もし本当に行くのならある程度の人数をまとめて、救援物資を手に入れ、トラックを用意し、自分たちの行動用のガソリンも用意し、自治体に「救援車両の申請」をし、その救援車両ステッカーを貰って行く

それぐらいまで考えて計画的に組織的にするべき

かといって一般の個人ボランティアを否定するものではない

その思いは気高く大切にするべきだ

一ヶ月もしたらボランティア組織がボランティアを募ると思う

それに参加し現地の人を助けたらいいと思う

ただ、医療経験者は現地で一人でもいいから来て欲しいと言います

ある被災地では一人の医師が300人以上の高齢者を24時間体制で診ています

当然寝る時間も食事をする時間も無く極限状態に有るらしいです

医師だけではなく看護師または元看護師、もっと言えば看護助士の経験が有るだけでも助かるらしいです

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隔靴掻痒

世界からこの悲惨な状況でありながら略奪が無い日本人は凄いなんて評価を得、マスコミはうれしそうに報道しているがそんなに喜んでばかりもいられないんじゃないか

まず、被災地は略奪しようにも略奪するものが無い、家も店もなにもかも津波に流され盗る物がないのだ

むしろ、ほとんどと言うより全く被害が無い自分の家の近くのスーパーが一時騒乱状態になっている

一般の家庭が米を20キロも買ってどうするんだ

棚のカップめん銘柄も見ずごっそり買ってどうするんだ

トイレットペーパー12ロール入りを5つも買ってどうするんだ、一日何回うんこするんだ?

7割方残ってるガソリン満タンにしてどうするんだ

もうええやろ

ちょっとは落ち着こうや

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東京電力の社長が今回の福島原発の被災から以後の出来事についてすべて地震のせいにしていた

マスコミにつっこまれて広報か誰かがそう言う意味では無くと言い訳してたが後の祭り、国民は東京電力に強い不信感を持ってしまった

というより、東京電力には放射性物質をバケツで運んでたと言う前科がある

各家庭にオール電化を推し進め、被災したら国民に計画停電(実際は未計画停電)という形でその負担を強いる

さらに、この期に及んで福島原発を廃炉するのがもったいないといってアメリカの救援を断り、今の放射性物質の拡散と言う事態を引き起こしている

アメリカの西海岸ではパニックになってるというが、まあ、過去に広島、長崎があるのでアメリカに放射性物質についてがたがたは言われたくは無い気もするが

なんにせよ東京電力、それに関わる官僚、そして菅首相はこの対応にTo little To lateにすぎた

 

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買占め・・・その後

「その後」と付けたが、未だに買占めは収まってない

あるところの記事で買い物に行った主婦が隣の中年夫婦の「ラーメンは棚のものをごっそり買ってね私はトイレットペーパーとティッシュを買うから」と言う会話に強迫観念に襲われ特に必要の無いものを買ってしまったと書いてあった

要は群集心理なのだろう

あと、3時間並んでガソリンを買う人

3時間の消費量ってどれぐらいなんでしょうね

あと、車のタンクではなく予備のハンディタンクに買う人

被災地に関係の無い地域でガソリンを買う人はリッター50円ぐらい上乗せして払ってもらいその分を義捐金に回せばいいんじゃないか?

もっとも公正取引法に抵触するかもしれないけど

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計画停電

計画停電を経験した

今までも計画には上がっていたのだがどういうわけか実施はされずにすんでいた。

でもついに今日の18:20~22:00(実際は21時過ぎ)経験してしまった

前もって家中の充電池(エネループ)を充電し撮影用の照明(直径5mm程のLED30個を単三4本で点ける)で真っ暗な中での生活はせずにすんだ

真っ暗中での生活とたとえわずかでも灯りのある生活とでは全く違っていた

  

テレビはミニノートのワンセグチューナーで見た

最初映らなかったのだが地域設定をやり直したら映るようになりなかなか役に立つもんだと認識した

ただ、僕の家は燃焼系の暖房が一切無くエアコンに頼ってたので時間が経つにつれて冷え込んできた

が、たかだか3時間ぐらいのもの被災地の方に比べたらはるかに恵まれていると思う

  

窓の外を見ると全ての電気が消えている

そこで星空の写真をとることにした

それがこれ↓ ワンツースリー

Sagamihara_star_2  

オリオン座を撮ったのだがベランダのでっぱりが邪魔で綺麗に撮れなかった…

世間は震災で大変な時に何をやってんでしょうね僕

 

 

 

 

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買占め

近くのコンビニへ行った

一部の棚がスカスカだったが冷蔵庫にドリンクはたくさんあり

ちょうど弁当も入荷したところだった

どういうわけかパンの棚だけはほとんど商品が乗ってなかった

それでもカップめんはやや品薄ではあったが客に不安を与えるような少なさではなかった

で、僕はジュース二本とポテトチップそれに食パンとおにぎりを買った

その量はいつもの買い物の量よりやや少ないぐらいだ

テレビでスーパーに人が押し寄せ買占めする姿が映っている

どこかで見た事がある光景だと思ったらオイルショックの時のトイレットペーパーの買占めの映像だ

あの当時はもっと凄かったが心理的にはそれと一緒なんだろう

今の日本で食料がなくなるということが有るのだろうか?

たしかに2~3日欠品することが有るかもしれない

その2~3日で都心や首都圏に住む人が飢えるとは思えないし今のこの状況が2ヶ月も3ヶ月も続くとも思えない

今一番大変なのは被災地域に住む人であってそちらの方に優先的に食料や生活用品を回しても都心に住む人がさほど困ることは無いと思う

被災者には食べ物が行き渡らないのに首都圏に住む人、特に子供が「もう食べられない」といって残し、捨てるなんて事があってはならないと思う

  

実は僕個人にとってもっと困ったことがある

ガソリンだ

バイクには3Lほどのガソリンしか残ってない

20k/Lとして60キロほどしか走れない

ところが近在のガソリンスタンドにはどこも長蛇の列

結局きちんと流通するまでバイクは乗ることは無いと判断し2ロックにカバーをかけた

日本には全く原油が入荷しないとなっても約半年分の備蓄がある

その量は個人の車移動を制限すれば一年ぐらい持つとも言う

なんでそんなに慌てるんだろう

今日明日にどこか旅行へ行く計画でも有るんだろうか

もしそうなら行った先で給油できるか保証が無いし、それ以前に今のこの状況で行ってもあまり楽しくは無いだろう

  

えらい事になってしまった

失業してしまった

2月いっぱいで冬の仕事が終わり3月は病院や何だかんだでゆっくりし4月から夏の仕事のはずだったが今回の震災でごわさんになってしまった

計画停電の影響で一部の店舗が営業時間短縮、営業日縮小のためだ

もちろん『事態が収まったら勤務してもらうから』という言葉は貰ったが実質失業だ

こまったこまったこまどり姉妹…なんて言ってる場合じゃないのだが、まあなるようになるさ…といたってのんきな僕である

 

 

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東北太平洋沖地震

その日、僕は東京駅近くにある銀行に行かねばならず、朝早い目に相模原の家を出た

小田急で新宿まで出て山手線で東京駅についた

東京駅から銀座はそう離れてはいない、途中には八重洲ブックセンターもある

そこは古地図なるものも置いてあり興味をそそったが目的は別にありある写真家の写真集を買った

さらにバレンタインデーのお返しも買わなければと銀座松屋に寄り彼女たちのために小さな髪飾りを買った

彼女と言っても手の一つも握ったことが有るわけではないが、オジサンの見栄もある

さらにカメラを持って出てたので銀座の街並みを写真に収めある画材屋に行こうとしたのだがそれが見つからない

何だかんだで30分ほどうろうろしたのだが何しろ究極の方向音痴、結局見つからず諦めて帰ることにした

来た時とは逆で有楽町からJRに乗り、新宿にからは小田急なのだが一時間強歩き続けたためにかなり疲れていた

ちょうどロマンスカーが10分後に発車するようで、指定席券もまだ売っている

乗ることにした

それが2時10分発、町田着2時41分

目的の駅は町田の次「相模大野」なので一駅各駅停車に乗らなければならないが連絡がスムーズで相模大野には2時44分に着いた

銀座の画材店で買えなかったので駅近くのビルの中に有る画材屋で目的のものを買うことにした

パチンコ屋にはさまれた一人幅のエスカレーターを上がると左手にトイレが見えた

そこで用を足している時眩暈がした

貧血でも起こしたかと思ったがそうではなかった

隣で用を足す若い男の子がおびえたような表情でこっちを見、『地震ですね』と言われて始めて地震に気がついた

トイレを出るとパチンコ屋から出てくる人でごった返していた

何しろ一人幅しかないエスカレーター単位時間に運べる人数なんて高が知れている

さらに地震感知計が働いたのか止まってしまった

奥には避難階段が有るらしいのだがそこも人でごった返している

その間もずっと揺れは続いている

だが、阪神の震災の最初の揺れのような壁に叩き付けられる様な揺れではなかったので僕は下手に動かないほうがいいと判断した

天井の板が落ちてくると言うことも無くしばらくすると揺れは収まった

僕は目的のものを買うために画材店に行ったのだが店内は幾分商品が散らばっていた

そんな中僕は店員に詫びながら買い物をした

店員は嫌な顔一つせず会員証を忘れた僕に会員価格で販売してくれた

家へ帰るとロングジョッキが倒れて床に転がって、さらに、パソコンの上の電気スタンドが畳の上に転がっていたがどちらも割れることなく特に被害は無かった

唯一の被害は水道のレバー式の蛇口が何かの弾みで少し下りてちょろちょろと水が出ていたぐらいだ(この建物は阪神の震災前に立ったものなのでレバーを倒すと水が出て起こすと止まる仕組み)

  

後から考えるともし有楽町で電車に乗るのが30分遅かったら僕は帰ることが出来なかったし、もしロマンスカーではなく『急行』を使ってたらやはりどこかで缶詰になっていたかもしれない  

次の日

職場に行くと髪飾りをあげるSさんがいない

Sさんは宮城出身で今年の正月そのお父さんからアワビをいただいた

そのお父さんと連絡がつかなくて宮城へ帰ったと言う

どこか他人事だった今回の地震が身近に迫ったと感じた瞬間だった

 

Sさんのご家族だけではなくなんとか一人でも多くの人が救出されることを祈ってます

 

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自叙伝 その2

あいかわらずあかんたれな僕だった

自分のあかんたれさを物語るエピソードがある

以前にも書いた記憶が有るのだが繰り返しになるが一応書き記すことにする

僕が小学生の頃東京オリンピックがあった

図工の時間に先生がテーマに「オリンピック」を出した

それを思い思いに表現し、ある子は黒い肌のランナーを描き、ある子は水泳選手を描いていた

遠近感など無視をし自由気ままに描いていた

僕は二本の高いポールを下から見上げそれを競技場が取り囲むような絵を描いた

もちろん技術は稚拙で表現力も何もあったもんじゃないと思うが棒高跳びを描いたつもりだった

その絵にいちゃもんがついた

クラスで一番頭がいいと思われてるE君だった

棒高跳びのポールが競技場のセンターボードより高いのっておかしいと言うのだ

そのE君に連なるようにそのほかの子供も変だ変だと言い出した

「ディフォルメ」と言う言葉を知ってたら何も問題が無かったのだが当時の知識にそれは無かった

結局僕は棒高跳びの絵を止め差しさわりの無い絵を提出した

後日、図工の先生に呼ばれ行くと棒高跳びの絵をやめた理由を聞かれた

「E君やみんなが変やっていうから・・・」

と答えると先生は小さく笑って君の絵はE君の心に映ったものを描くのか?君の心に映ったものを描くんでしょと諌められたが当時の僕はやはり先生の言う意味があまり理解したとはいえなかった

それでも次に描く時は自分の思うとおりに描こうと思った

  

中学校へ上がった

仲の良かったXXとは校区が違い離れ離れになった

野球部へ入ったが虚弱体質の僕は体力的についていくのがやっとでいい選手ではなかった

一年の担任がTと言う先生ですぐに手を挙げる先生だった

愛の鞭でもなんでもなくその日の気分で殴られた

えこひいきが酷く横暴で今思っても胸糞が悪くなる教師だった

今なら完全に暴力教師として教壇には立てないだろう

そして、僕が目を付けられた

最悪なことに一年の時と三年の時が担任になり、最悪の中学時代だった

それでもぐれる事も無く…というよりぐれるには体力が必要だった…3年間を乗り切った

その三年間ぐれはし無かったがあまりまともでもなかった

朝、昼食代を貰いコンビニなどない時代、パンと牛乳を買うのだが毎日パンでは飽きてしまった

学校はかなりの高台にあり、前を川が流れている

その川向こうに「関東煮屋」があった。関東煮と言うのは「おでん」のようなものだ

川の上流100mほどのところに橋が有りその店まで往復10分もかからない

何人かの友人とその店に行った

大根と厚揚げとジャガイモにたまごを食べても貰った昼代でお釣りがあった

それ以降毎日のようにそこで昼食をとるようになった

ある日、いつものように川向こうを歩いていると前を割り込むようにして車が止まった

中から教頭先生が出てきた

その教頭先生は優しい先生で僕をあだ名で呼んでいた

「こら、学校抜け出してどこいくんや」

「え…そこの関東煮屋で昼飯食べようおもて」

とバカ正直に答えた

結局こっぴどく怒られ、用務員室で用務員のおじさんとインスタントラーメンを食べることになった

用務員のおじさんは教頭先生から事情を聞き大笑いしながらラーメンを作ってくれた

一時不登校になりかけたこともあったが時はこちらの事情に関わらずとうとうと流れていった 

  

ある秋の夕方、自分の影が異様に長く、冬の訪れを感じた

友人が呼ぶ声が耳鳴りのように聞こえ、身体にまとわりつくような風の一瞬一瞬が時を刻み、老いへと導くように思われた

15歳の少年が人生のはかなさを小さく感じた一瞬だった

 

そして僕は高校生になった

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