アスペルガー症候群

最近になってわかったことがある

僕はアスペルガー症候群かもしれない

Wikiで調べると一種のコミュニケーションの能力は健常者に比べて劣るそうだが、自閉症とかとは違い自分からコミュニケーションはとれるがいわゆる空気が読めないということがあるらしい

また社会で何年も働いてきたので通り一遍のコミュニケーションはとれる。僕自身人と話すのは好きだし一見人当たりも良い

その実、何を話したらいいのかがわからない

変に気を使いしばらくすると苦痛になることもある

特に初対面、またはそれほど親しくない人に対し『人見知り』というレベルを超えて関われない

だが人に気を遣う性格がこちらから話しかけてしまうが相手がきっと鬱陶しいと感じてるのではないかと結局話すのをやめてしまう

だから人とのコミュニケーションが中途半端に終わりそれがグループなら仲間にも入れない

無理して入っても自分が浮いてしまってるんじゃないかとか本当に些末なことを気にして次第に遠ざかってしまう

さらに始末が悪いことに僕は一人でいることが好きで何日も人と話すことが無くても平気でいられる

人恋しければきっともう少しアクティブなんだろう

この年になってこんなことに今更気づいて人生に何のプラスにもならないが自分を総括するうえでは必要な知識を得たと思っている

今日夕方のニュースで孤独死の特集をやってた

明日は我が身だと思った

 

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自叙伝 その2

あいかわらずあかんたれな僕だった

自分のあかんたれさを物語るエピソードがある

以前にも書いた記憶が有るのだが繰り返しになるが一応書き記すことにする

僕が小学生の頃東京オリンピックがあった

図工の時間に先生がテーマに「オリンピック」を出した

それを思い思いに表現し、ある子は黒い肌のランナーを描き、ある子は水泳選手を描いていた

遠近感など無視をし自由気ままに描いていた

僕は二本の高いポールを下から見上げそれを競技場が取り囲むような絵を描いた

もちろん技術は稚拙で表現力も何もあったもんじゃないと思うが棒高跳びを描いたつもりだった

その絵にいちゃもんがついた

クラスで一番頭がいいと思われてるE君だった

棒高跳びのポールが競技場のセンターボードより高いのっておかしいと言うのだ

そのE君に連なるようにそのほかの子供も変だ変だと言い出した

「ディフォルメ」と言う言葉を知ってたら何も問題が無かったのだが当時の知識にそれは無かった

結局僕は棒高跳びの絵を止め差しさわりの無い絵を提出した

後日、図工の先生に呼ばれ行くと棒高跳びの絵をやめた理由を聞かれた

「E君やみんなが変やっていうから・・・」

と答えると先生は小さく笑って君の絵はE君の心に映ったものを描くのか?君の心に映ったものを描くんでしょと諌められたが当時の僕はやはり先生の言う意味があまり理解したとはいえなかった

それでも次に描く時は自分の思うとおりに描こうと思った

  

中学校へ上がった

仲の良かったXXとは校区が違い離れ離れになった

野球部へ入ったが虚弱体質の僕は体力的についていくのがやっとでいい選手ではなかった

一年の担任がTと言う先生ですぐに手を挙げる先生だった

愛の鞭でもなんでもなくその日の気分で殴られた

えこひいきが酷く横暴で今思っても胸糞が悪くなる教師だった

今なら完全に暴力教師として教壇には立てないだろう

そして、僕が目を付けられた

最悪なことに一年の時と三年の時が担任になり、最悪の中学時代だった

それでもぐれる事も無く…というよりぐれるには体力が必要だった…3年間を乗り切った

その三年間ぐれはし無かったがあまりまともでもなかった

朝、昼食代を貰いコンビニなどない時代、パンと牛乳を買うのだが毎日パンでは飽きてしまった

学校はかなりの高台にあり、前を川が流れている

その川向こうに「関東煮屋」があった。関東煮と言うのは「おでん」のようなものだ

川の上流100mほどのところに橋が有りその店まで往復10分もかからない

何人かの友人とその店に行った

大根と厚揚げとジャガイモにたまごを食べても貰った昼代でお釣りがあった

それ以降毎日のようにそこで昼食をとるようになった

ある日、いつものように川向こうを歩いていると前を割り込むようにして車が止まった

中から教頭先生が出てきた

その教頭先生は優しい先生で僕をあだ名で呼んでいた

「こら、学校抜け出してどこいくんや」

「え…そこの関東煮屋で昼飯食べようおもて」

とバカ正直に答えた

結局こっぴどく怒られ、用務員室で用務員のおじさんとインスタントラーメンを食べることになった

用務員のおじさんは教頭先生から事情を聞き大笑いしながらラーメンを作ってくれた

一時不登校になりかけたこともあったが時はこちらの事情に関わらずとうとうと流れていった 

  

ある秋の夕方、自分の影が異様に長く、冬の訪れを感じた

友人が呼ぶ声が耳鳴りのように聞こえ、身体にまとわりつくような風の一瞬一瞬が時を刻み、老いへと導くように思われた

15歳の少年が人生のはかなさを小さく感じた一瞬だった

 

そして僕は高校生になった

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